瓔珞<エイラク> と如懿伝 はどちらの方が史実に基づいているのか?について。
瓔珞<エイラク> と如懿伝を両方見た方は非常に気になるところではないでしょうか?
瓔珞<エイラク> と如懿伝どちらが史実に近いのかまとめていこうと思います。
この記事の目次
瓔珞<エイラク> と如懿伝 史実に基づているのか
瓔珞<エイラク> と如懿伝 史実なのはどちらか?
瓔珞<エイラク> と如懿伝どちらが史実に基づいているのは、これはどちらも史実に基づいていません。
どちらも史実とは少し違います
ですので、どちらも違うが正解となります。
瓔珞<エイラク> と如懿伝 どちらが史実に近い?
では、瓔珞<エイラク> と如懿伝の史実に近いのはどちらか?と聞かれたら、それは如懿伝と答えます。
なぜ如懿伝が史実に近いのか?をご紹介します。
如懿伝が史実に近い理由
ストーリーが史実に近い
如懿伝のストーリーは、皇帝夫婦愛となっていますね。
瓔珞<エイラク>でも、皇帝陛下は皇后をとても大切にしているように描かれていますが、如懿伝では、初めから2番目の皇后の嫻妃とずっと愛し合っていますね。
瓔珞<エイラク>では、基本的には姉の死の真実を暴き、そしてその復讐にもえるという設定となっています。
このことから、ストーリーが史実に近いのは如懿伝となります
貴妃の数の違い
瓔珞<エイラク>で登場する貴妃は、ちょっと少なかったですね。
実際、乾隆帝の后妃の数は42名となっています
その割には少なさを感じます。
その分貴妃たちの顔や名前を憶えやすく見やすいのはよかったですね。
逆に如懿伝では次々あとで追加で登場してきます。
その分、だれが誰だったか、わかりにくくはなってきますがその分史実に近いのかな?と思いました。
子供たちが描かれている
瓔珞<エイラク>では、乾隆帝の子供たちの話があまり出てきませんでした。
ですが、乾隆帝の子供は全員で27名もいます。
やはり、この瓔珞<エイラク>ではエイラクがあくまでも主人公として描かれているのでそのあたりが若干ほかのことが薄くなっているのかな?といったところですね。
そして、如懿伝の方では史実に基づいたことも描かれています。
乾隆帝の子供定安親王・永璜は富察皇后が亡くなった際に、涙を流さなかったことに乾隆帝は激怒しましたが、これもしっかり描かれています。
このように、如懿伝では史実に基づいて子供たちのことを描いているシーンもあります
まとめ
どちらも史実には基づいていませんが、如懿伝のほうが史実に基づいています。
ですが、瓔珞<エイラク>でも史実に近い部分もあります。
瓔珞<エイラク>では、史実の人物で三番目の皇后である令妃に近いです。
また、乾隆帝は富察皇后をとても大事にされていました。このあたりも瓔珞<エイラク>が史実に基づいていますね。
なのでどちらも史実に基づいている部分あるけど、どちらも史実ではないという感じです。
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