中国の清の皇帝第7代目になるのはだれなのか?
清の皇帝第7代目といえば、乾隆帝の次の代になります。
乾隆帝は非常に有名な皇帝なので、次はだれが受け継いだのか気になりますね。
さて、乾隆帝の次の皇帝についてご紹介しますね。
この記事の目次
乾隆帝の次の皇帝はだれなのか?/清の第7代目皇帝
乾隆帝の次の皇帝は第7代目 嘉慶帝(かけいてい)
乾隆帝の次の皇帝は第7代目嘉慶帝(かけいてい)になります
名前は永琰(えいえん)で、即位後に顒琰(ぎょうえん)と改めました。
嘉慶帝(かけいてい)とは
嘉慶帝(かけいてい)についてご紹介します。
嘉慶帝(かけいてい)は、乾隆帝の15男として生まれました。
母は、側室である孝儀純皇后となります。
乾隆60年(1795年)、85歳の乾隆帝から譲位を受けますが、太上皇となった乾隆帝が権力をもっていたため飾りの皇帝でした
その4年後の、乾隆帝が嘉慶4年(1799年)に崩御。
これを機に嘉慶帝(かけいてい)は、乾隆帝が重用していた奸臣ヘシェン(和珅)を誅殺しました
このヘシェンはとんでもない奸臣であるのは、周りの人間はみなわかっていましたが、乾隆帝だけは信じていました
そのため、どうにもできなかったのですが、崩御したことを機にまっさきに誅殺しました
その後、乾隆中期以降の清は綱紀弛緩が甚だしかったため、嘉慶帝はこれを修繕しようと試みたが、あまり芳しい結果は得られませんでした。
この時代では、民が100年前に比べれば2倍の4億人となったにもかかわらず、農業耕地は1割ほどしか増えていなかったため反乱がおきます。
だが、なかなか鎮圧ができず反乱軍討伐を郷勇と呼ばれる義勇兵軍団に頼ってようやく鎮圧ができました。
嘉慶帝は嘉慶25年に急死。
死因はわかってないが、肥満体質だったことから心血管疾患か脳卒中で亡くなったのではないか考えられています。
嘉慶帝(かけいてい) 后妃
正室
- 孝淑睿皇后 ヒタラ氏(喜塔臘氏)
- 皇二女、皇二子綿寧、皇四女荘静固倫公主
- 孝和睿皇后 ニオフル氏(鈕祜禄氏、恭慈皇太后)
- 皇七女、皇三子惇親王綿愷、皇四子瑞親王綿忻
側室
- 和裕皇貴妃 リュギャ氏(劉佳氏、諴貴妃)
- 皇長子穆郡王、皇三女荘敬固倫公主
- 恭順皇貴妃 ニオフル氏(鈕祜禄氏、如妃)
- 皇八女、皇九女慧愍固倫公主、皇五子恵親王綿愉
- 華妃ヘギャ氏(侯佳氏)
- 皇六女
- 簡嬪グァンギャ氏(関佳氏)
- 皇長女
- 遜嬪シェンギャ氏(沈佳氏)
- 皇五女慧安和碩公主
- 恕妃、荘妃、信妃
- 簡嬪、淳嬪、恩嬪、安嬪、栄嬪
- 芸貴人、玉貴人、慧常在