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孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)とはどんな人物だったのか?

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孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)は沢山の作品に登場する孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)。

さてそんな孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)はどんな人物だったのか?

まとめていこうと思います。

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孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)とは

基本情報

名前 姓:ボルジギト 名:ブムブタイ
生まれ 万暦41年2月8日(1613年3月28日)
父親 ジャイサン

清の2代皇帝ホンタイジの側妃。

ホンタイジの皇后孝端文皇后の姪。

第3代皇帝順治帝の生母。

第4代皇帝康熙帝の祖母。




歴史

  • ブムブタイは、万暦41年2月8日(1613年3月28日)に生まれる。
  • 天命10年(1625年)、13歳の時に、ヌルハチの八男のホンタイジの側室となる。
  • 天聡3年(1629年)長女のヤトゥ出産。
  • 天聡6年(1632年)に次女のアトゥ出産。
  • 天聡7年(1633年)に三女の固倫端献公主を出産。
  • 崇徳元年に夫であるホンタイジは皇帝位を称し改元ブムブタイは永福宮荘妃に封じられる
  • 崇徳3年(1639年)フリン(順治帝)を出産。
  • 崇徳8年(1643年)、ホンタイジが死去後、ホンタイジの異母弟のドルゴンがフリンを擁立しブムブタイは皇太后となる。
  • 順治8年(1651年)2月には尊号を昭聖慈寿皇太后となり、同年8月には昭聖慈寿恭簡皇太后となる。
  • 順治13年(1656年)12月には昭聖慈寿恭簡安懿章慶皇太后に尊号が加えられた。
  • 順治18年(1661年)、順治帝が逝去。康熙帝が即位し太皇太后と呼ばれるようになった。

 

この時系列を見ると、息子が先に亡くなったのがわかります。

そのあとも長生きをし75年の生涯を生きました。

亡くなる直前に康熙帝に順治帝のそばに埋葬してほしいといったそうでその近くに埋葬されました。

ですが、現在は清の第5代目の皇帝雍正帝が別の場所に移したそうです。




孝荘文皇后(こうそうぶんこうごう)が登場するドラマ

  • 康熙王朝:2003年
  • 大清風雲:2005年
  • 宮廷の泪・山河の恋:2012年
  • 皇后の記:2015年
  • 皇貴妃の宮廷:2015年
  • 皇帝の恋 寂寞の庭に春暮れて:2016年
  • 孤高の皇妃:2017年
  • 王家の愛-侍女と王子たち-2018年
  • 長安 賢后伝:2020年

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