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【中国史】清朝歴代皇帝12人を一気にご紹介!アイシンギョロ家まとめ

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清(しん)、または大清帝国(だいしんていこく)の時代の歴代皇帝のご紹介。

色々なドラマに登場する皇帝。

どんな皇帝がいたのか一気に書いてみようと思います。

全員で12人いました。

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【中国史】清朝歴代皇帝12人を一気にご紹介!

清または、大清帝国(だいしんていこく)は、1616年に満洲に建国されました

中国と蒙古を支配した最後の統一王朝です。

清の皇帝たち

では、清の皇帝たちをご紹介

清の皇帝は全員で12人。

  1. ヌルハチ
  2. 崇徳帝
  3. 順治帝
  4. 康熙帝
  5. 雍正帝
  6. 乾隆帝
  7. 嘉慶帝
  8. 道光帝
  9. 咸豊帝
  10. 同治帝
  11. 光緒帝
  12. 宣統帝

となっています。

この中でも、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の3代が最盛期の時代でした。

この3人が登場するドラマも非常に多くなっていますね。

きいたことがある方も多いのではないでしょうか。

それでが1人ずつみていきましょう

天命帝 /ヌルハチ

  • 廟号:太祖
  • 皇帝名:天命帝
  • 名前:ヌルハチ
  • 在位時期:1616年 – 1626年

 

ヌルハチは、後金の創始者。後の清

天命時代の皇帝となります。

皇帝名より、ヌルハチという名前で有名な方です。




崇徳帝/ホンタイジ

  • 廟号:太宗
  • 皇帝名:崇徳帝
  • 名前:ホンタイジ
  • 在位時期:1627年 – 1643年

 

崇徳帝は、2代目皇帝でヌルハチの8番目の子供

後金を清にした人物。

時代は崇徳。

11歳の時に生母のイェヘナラを亡くしたため、マングルタイ、デゲレの生母のフチャ(富察)氏に面倒をみてもらっていた。

マングルタイは、ヌルハチの5番目の子供で敬意を示していた。

 

呼び名は、崇徳帝よりホンタイジが有名。

明との戦いが続く中、清寧宮で倒れ、急死。51歳でした。

死因は、脳出血などの疾患とされています。

順治帝/フリン

  • 廟号:世祖
  • 皇帝名:順治帝
  • 名前:フリン
  • 在位時期:1644年 – 1661年

 

順治帝は、3代目皇帝。

清の土台を確固たるものとした人物でこの先の3代の黄金期を導く役割をした。

ホンタイジの9番目の子供。

母は永福宮荘妃(ボルジギト氏)。

6歳で皇帝となったため、まだ幼かったためにドルゴンが実権を握ることに。

そのドルゴンの死後は、自分で政治をすることになりました。

 

その後、孝献皇后ドンゴ氏を亡くしてから気落ちし、自身も天然痘を患いわずか24歳でこの世を去ってしまう

あまりの早い死に、みなは、ドンゴ氏を弔うべく出家して山で住んでいるという説が生まれ噂されるほどその死を惜しまれた。

康熙帝/ヒョワンイエイ

  • 廟号:聖祖
  • 皇帝名:康熙帝(こうきてい)
  • 名前:ヒョワンイエイ
  • 在位時期:1662年 – 1722年

 

第4代目皇帝。

順治帝の第3子になります。

歴代の中でも、名君といわれた皇帝。

幼いころ患った疱瘡に打ち勝ったこと、厳格な祖母に育てられたことを理由に皇帝へ指名された。

 

康熙帝は、内政にも熱心なうえ、倹約かでもあった。

そのため明代のときの1日の費用を1年間の費用としたのも有名です。

さらに使用人は、1万人いたところを数百人までに減らしました

無駄な費用を極力抑え、財政は富み、減税をたびたびしました。

 

後継者問題には頭を悩ましました

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雍正帝/インジェン

  • 廟号:世宗
  • 皇帝名:雍正帝(ようせいてい)
  • 名前:インジェン
  • 在位時期:1723年 – 1735年

 

清の第5代皇帝

康熙帝の第4子で母は徳妃のウヤ(烏雅)氏。

 

雍正帝は、勤勉で夜遅くまで上奏文に目を通し、1日の睡眠時間は4時間ほどだといわれています。

それがたたったのか、雍正帝の死因は過労ではないのかという説もある。

乾隆帝/フンリ

  • 廟号:高宗
  • 皇帝名:乾隆帝(けんりゅうてい)
  • 名前:フンリ
  • 在位時期:1736年 – 1795年

 

清の第6代皇帝

雍正帝と側妃の熹貴妃ニオフル氏の子供で雍正帝の4番目の子供。

清王朝の最盛期の皇帝。

ドラマに登場する回数は多い人物。

 

祖父・父とは違い派手好きな皇帝。

父の死後25歳で即位した。

乾隆帝は、10の地域への対外遠征へいき、清時代の版図が拡大してき、タイやラオスにまで朝貢するようになった。

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嘉慶帝/ヨンヤン

  • 廟号:仁宗
  • 皇帝名:嘉慶帝(かけいてい)
  • 名前:ヨンヤン
  • 在位時期:1796年 – 1820年

 

清の第7代皇帝

乾隆帝の十五男。

85歳の乾隆帝から譲位を受けるものの、その権力は乾隆帝がもっており、嘉慶帝は名ばかりの皇帝でした。

 

この時代では、民が100年前に比べれば2倍の4億人となったにもかかわらず、農業耕地は1割ほどしか増えていなかったため反乱がおきる。

だが、なかなか鎮圧ができず反乱軍討伐を郷勇と呼ばれる義勇兵軍団に頼ってようやく鎮圧ができました。

嘉慶帝は嘉慶25年に急死。死因はわかってないが、肥満体質だったことから心血管疾患か脳卒中で亡くなったのではないか考えられています。

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道光帝/ミンニン

  • 廟号:宣宗
  • 皇帝名:道光帝(どうこうてい)
  • 名前:ミンニン
  • 在位時期:1821年 – 1850年

 

清の第8代皇帝

りイギリスからのアヘン密輸が激増し、国内で中毒患者が増加し、さらに清の大幅な黒字だった対英貿易が赤字に転落したことから、のちに輸入を禁止にした。

さらに、アヘンを徹底的に禁輸し商人たちが持っていたアヘンを没収し焼き払った

それを知ったイギリスは、アヘン焼却の賠償を求めるもこれは清国より拒否

イギリスは艦隊を出して清を攻撃したこれをアヘン戦争と呼ぶ。

 

その後、道光帝(どうこうてい)はこの世を去る。

享年68歳、在位30年でした。

咸豊帝/イジュ

  • 廟号:文宗
  • 皇帝名:咸豊帝(かんぽうてい)
  • 名前:イジュ
  • 在位時期:1851年 – 1861年

 

清の第9代皇帝

道光帝の第4子

母は鈕祜禄氏(孝全成皇后)

 

即位後、すぐに太平天国の乱がおきる。

さらに平行してアヘン第2次戦争が起き敗れる。

このことで、北京への使臣常駐、キリスト教布教の公認、アヘン輸入の公認などを認めさせられることになった。さらにロシアもこれに乗りアイグン条約を結ばされた。

 

その後咸豊帝(かんぽうてい)は、結核によって30歳という若さで崩御した。

同治帝/ヅァイシュン

  • 廟号:穆宗
  • 皇帝名:同治帝(どうちてい)
  • 名前:ヅァイシュン
  • 在位時期:1862年 – 1874年

 

清の第10代皇帝

咸豊帝の長子

母は西太后

 

同治帝(どうちてい)はわずか6歳で即位したものの、その実権は母やその親族たちの周りの大人が握っていた。

 

このころ、長く続いた太平天国の乱が14年間で幕を閉じた

だがほかの反乱も起きましたが軍の西洋化を図ったことで国力が回復。

 

台湾へ漂着した琉球島民54人が殺害される宮古島島民遭難事件が発生

日本政府は清へ抗議するものの台湾原住民は統治外の民であるとの返答

西郷従道率いる日本軍が台湾を占拠した。

 

同治帝は19歳で死去。

死因は、天然痘または、遊郭で患った梅毒とされています。



光緒帝/ヅァイティヤン

  • 廟号:徳宗
  • 皇帝名:光緒帝(こうしょてい)
  • 名前:ヅァイティヤン
  • 在位時期:1875年 – 1908年

 

清の第11代皇帝

道光帝の第7子醇親王奕譞の第2子

先代が早世だったために従弟の光緒帝が擁立された

権力保持を狙う伯母の西太后によって擁立

 

皇帝になったのはわずか3歳。

このことから実権は西太后が握り、女性が政治指揮をとる垂簾聴政が行われた

その後日清戦争が起きるも敗北する。

 

光緒帝(こうしょてい)は日本のように政治改革を試みるも、急な改革に反発が起こり、西太后派たちはクーデターを起こす。

西太后は一時光緒帝の廃位を考えたが猛烈な反発にあい断念。

その後も西太后は実権を握り続ける。

 

その後、光緒帝(こうしょてい)は崩御し、その翌日に西太后も崩御

この死には色々な憶測があるもののわかっておりません。

中には暗殺説なども浮上しているものの、謎のまま。

 

宣統帝/プーイー

  • 廟号:なし
  • 皇帝名:宣統帝(せんとうてい)
  • 名前:プーイー
  • 在位時期:1908年 – 1912年

 

大清帝国第12代目

最後の皇帝。

ラストエンペラーとして映画にもなっている。

西太后の遺言で甥にあたる宣統帝(せんとうてい)が即位した。

 

わずか2歳で即位。

即位たった5年あまりで清朝は滅亡しました。



清朝の黄金期はたった3代

こうしてみると、清朝の黄金期は、4代目~6代目の3代のみというのがわかりますね。

やはりドラマ化されているだけあります。

最後のラストエンペラーも映画化されているので、どんな皇帝だったのか気になる方は見てみるのもいいでしょう。

 

やはり文字で見るよりドラマや映画を見る方がわかりやすいですからね

ただ少しフィクション化されている部分もありますが、ある程度はその通りに作られています。

参考にはなります

最後の皇帝も、波乱万丈の人生を送られました。

 

最後のラストエンペラーの愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)の名前は年齢層が高い方には有名です

 

以上、清朝の皇帝を一気にまとめてみました。

参考になれば幸いです。

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